何のために宿題はあるのか?

保護者生徒に向けて

大手塾にお子さんを通わせていたご家庭にとって

自宅で大量の宿題を泣きながらこなすのが当たり前になっていたりします

そもそもその宿題はその子に合っているのか?

本当に目的のためにはその宿題をする必要があるのか?

そういうことも考えて頂けたらと思います

以前の記事を再掲載します

何のために宿題があるのか?​

宿題の目的としては「定着」として出される場合が多いだろう。

反転学習をしているところでは、新しい単元を自分で調べる予習タイプの場合もある。

いずれにせよ何か目的があるはずだ。

ところが、中には「目的は?」という、苦行のような宿題も見受けられる。

ひたすら時間がかかり作業的なことを忍耐力を持って行うような宿題だ。

例えば、全ての単語を100回書きなさい。という様なもので

catなどのようにすぐに覚えてしまうものや既に知っているものまで

ひたすら書かせる宿題だ。

時間がかかるばかりで、脳みそは働いていない。

その子の現在の能力を遙かに超えた難易度の問題を大量に解かせるような場合も効果的なものとは言えない。

もちろん、時間的制約の中、授業時間以外に大量に覚えなければならない様な場合もあるが

それこそ単なる作業では無くその子の頭がフル回転するようなものでないと覚えるべきものも覚えられなくなってしまう。

宿題は時間をかければ良いというものでは無く、ましてや無意味に時間がかかる宿題を出すべきでは無い。

「うちの子、宿題以外勉強しないんで、もっともっと宿題出して下さい。」

時々こういった要望を保護者から頂く。

まず考えなければいけないことは、「宿題以外勉強しない。」ということの解決策として「宿題を増やす」のは良いことなのか?

と言うことだ。

ここで本来保護者が願っていることは、

「自分から勉強する。」

ということであって、

「強制的にやらせる。」

では、いつまで経っても自分から勉強するようにはならない。

むしろ、自分で必要な勉強をする機会を逃してしまっている。

ここでは宿題を否定しているのでは無く、

宿題も必要だが、自分から勉強するには、もっと様々なことに興味が向かないと「知りたい」という気持ちが起こらなくなってしまうと言うことだ。

宿題に子守をさせてはいけない。

子ども達には「暇」な時間や「ぼーっ」とする時間は必要なのだ。

一見そうやって無駄であるような時間があるからこそ、

「何をしようかな?」

という考えが生まれてくる。

もちろん、今の子にゲームや携帯を与えたら

そういった時間をゲームやSNSに使ってしまうだろう。

だからゲームや携帯は、親子で話し合ったしっかりとしたルールの下で行ことが必要だ。

欲しがるから気軽に与えたでは、それこそ一日中やっていて当たり前だ。

「うちの子、一日中ゲームばっかりやっているんです。」

こういう相談は学校でも塾でも良く聞かれる。

ゲーム開発者は、市場に出回っている数あるゲームの中から選んでもらうために

心血注いで「楽しく時間を忘れて没頭できるよう」それこそ寝ずにゲームを作っているのだ。

「暇」な時間があれば確実にその全てを使ってしまうだろう。

「一日1時間まで」などの一定のルールはやはり必要だ。

子供の学習に協力的で家庭学習に関してもとても熱心な保護者は、

「自分から勉強できる子になって欲しい。」

「自分で考えて行動できる子になって欲しい。」

と、考えている方がとても多い。

しかし、大量の宿題でその子の時間を奪ってしまうと

「自分から」何かをやろうとする機会や

自分に足らない何かを考えて補おうという機会を奪うことに繋がる。

大量の宿題で育った子は

その後も与えられないとできない子になってしまいやすい。

日常から親子で気になる本を読んだら、その本のどこが面白いと思ったか?とか、

図鑑や地図をリビングの手の届くところに置いておいて、

テレビなどで聞いたことをすぐに調べないと気持ち悪いという状態にすることは

長時間の宿題をするよりも価値あることだと思う。

そうやって普段から「知」に関するアンテナの感度を上げておくこと

「自分から」学ぶ子が育つのに必要なことだと思う。

時間は限られている。

どんな子になって欲しいのか?

その為のきっかけは日常にある。

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